素材に神が宿る

「心は形を求め、形は心を勧める」という言葉があります。

 

一年ほど前でしたか美輪明宏がテレビでこんなことを言っていました。「アメリカファッションのマネをして、日本の女性はわざと自分を醜く見せている」と。

たしかに言えると思います。作りようによっては美しく輝くのに、何でわざとこんなに変なファッションなのだろう、と思うことがあります。

最近の日本の自動車メーカーは、アメリカ車と似たようなデザインの車を造るようになりましたが、私はこのデザインが好きではありません。アメ車のデザインは「ケンカっぽい」ような感じがします。

 

服によって気分が変わることがあります。変な服ばかり着ていると、影響を受けて中身まで変になってしまうことがあります。

服に限らず、すべての物には「大自然の霊」のようなものが住み着いていて、ヤンワリと私たちに静かなメッセージを発しているような気がします。

 

絵具も同様です。今では「どんな絵具を使おうが関係ない、表現されている内容が大切だ」という声も聞かれます。なので、日本画なのに超厚塗りだったり、油絵なのに薄くて水彩画みたいだったりします。

 

さて絵具は本来、目的を持って開発されました。油絵具は人間を描く目的から生まれました。ですから油絵具で風景や抽象画を描くことは、本来の絵具の魅力を十分に生かせない可能性があります。

美大などの絵画科では、始めに油絵を教えますが、これは技法が易しいという理由からでしょう。

 

素材が心を誘導することがあります。絵具には長年その絵具に親しんできた人たちの想いや念が入っているのです。

大げさに言えば、油絵を描くということは、 長年の西洋の歴史を相続するようなものです。

相続した人は遺産を自分なりに発展成長させる必要があります。

 

日本人が油絵を使い続ける難しさはここにあります。国籍不明の絵画になりやすくなります。

伝統が大きくて重いほど新規開拓が難しくなります。

図は左から、東郷青児「山と河」。浮世絵美人画を油絵に生かしています。中は安井曽太郎「薔薇」。独自の日本的な安井様式を開発しました。右は国籍不明絵画の一例です。

 

昔私が知っていた、あるキリスト教信者の木彫作家は、やがて棄教して仏教に改宗しました。

きっと彼は木からのメッセージを受け取ったのかもしれません。

 

日本人が油絵をやることがいかに難しいかを考えてみましょう。

それには作品を見てもらえば分かります。外国人から云われることは「国籍不明だ」です。

どんなにがんばっても認めてもらえません。たしかに歴史に名を残す西洋の天才たちに敵うはずがありませんから。

したがって日本の画家はどうしても日本を意識して制作せずにはおれません。

たとえば、西洋人が和服を着たらどうでしょう。

西洋人が歌舞伎をやったら、どうしても似合わないし、奇妙です。

日本人がオーケストラの一員として演奏していたりするのは、少なくとも日本人から見れば自然です。

不自然に見えるのは、映画「テルマエロマエ」がぎりぎりの線で、これは古代だから何とかごまかせましたが、オペラやバレエとなると、片目をつぶって見る方が良いでしょう。

日本人作家が書いたオペラもありますが(「夕鶴」「黒船」など)、CDを買ってきて観賞するほどの魅力を感じません。

 

油絵で和服女性を描くとひどい、という現象があります。

どんな天才が描いた油絵でも同じです。

「見るに堪えない」というほどではありませんが、たとえ印刷物でも壁に貼っておきたくはありません。

 

 

昔は「…国」と「…人」と「…語」と「…教」という言葉は同じ意味でした。ですから日本人は「日本教」というわけです(出典:イザヤ=ペンダサン 日本人とユダヤ人)。

国籍が無いのは規範が無いのと同じですから、外国人から見て、その人たちが何を大切にしていて何処に向かっているのかが分からないということです。

そこで明治時代以降、日本の画家は「いかにして古来の伝統を相続しつつ、新しい絵画を創造するか」の問題に取り組んで来ました。

 

では日本人は日本で発明された素材や古くから使われている絵具を使って描けば安心でしょうか。

「NO」です。

現代は江戸時代と違って「和洋折衷」の時代です。100パーセント「和」ではありません。生活の中に西洋が入り込んでいます。最近では「アジア」も加わっています。

絵にも新しい文化様式が要求され る時代になりました。