東洋と西洋の絵
東西の絵画の違いを考えてみました。
科学博物館でネアンデルタール人やクロマニョン人と、北京原人の復元顔を見た方ならお分かりのように、人類の起源からすでに骨格の違いが現れていました。
東洋人の顔は平面的で彫が浅く、西洋人の顔は彫が深くて立体的であることが特徴です。
初期の絵画は宗教儀式に利用されました。
中世のイコンに描かれているキリストやマリアの背景は金色一色です。金色は「天国」を表しています。
やがてそれが、光=神、影=神以外(悪魔や異邦人など)にたとえて描かれるようになりました。キリスト教絵画では、神を光で表すことが暗黙の了解となりました。
西洋諸国は日本の北海道よりも北にあります。
北にあれば日射角が斜めになります。
斜めになれば影が多く出ます。
ゆえに影が当たった時に美しく見える家や人が魅力的に見えるはずです。それらの人や建物や文化が、長い年月をかけて生き残った可能性があります。
キリスト教の「光」は、そんな風土状況に便乗したものではないかと思います。
印象派の描く光は「神の光」の裏づけがあって、より深く理解できます。
日本では光を「神の光」と思ってはいませんが、影については似たような解釈があります。
【影→陰→おん→おに→鬼】のように考え(感じ)られていました。影を描くことは鬼を描くように汚くて怖い事だと捉えられていました。
これは「こじつけ」ではありません。影は「怖いもの、きたないもの」でした。日本人は影を嫌う民族だったのです。ちなみに鬼というのは死を表すものだったようです。
(出典:中西進 古代日本人の宇宙観 日本放送出版協会)
印象派の絵画が何故日本で大人気なのかといえば、たしかにジャポニスムの影響もありまますが、私は”影”を美しく描いた、影を怖くなく描いたことが人気の理由ではないかと思っています。

図は左から、レンブラント「聖家族」(部分)、月岡芳年「芳年武者旡類 遠江守北条時政」、司馬江漢「駿州薩陀山富士遠望図」。
東洋では西洋より早く紙が発達しました。
紙の発達は水溶性絵具の発達を促し、墨や膠などの絵画素材が普及しました。
水溶性絵具は紙との相性が良く、油性絵具は木や皮(羊皮紙)に定着しやすいものです。
水溶性絵具はグラデーションを塗るのに適していないので、人物画よりも風景画に向いています。
西洋は紙の発達が遅れました。
紙が普及する以前は、木材や樹皮や皮革に(主に)文字を書いていました。
絵画(肖像、聖像)用には木材が使われました。木材は油絵具が乗りやすいので重宝されて高価で取引されていました。
油絵具はグラデーションが容易に描出でき、光と影の表現にも適しています。
現在の日本画は昔の日本画と違って油絵のような厚塗りが流行しています
こうなると何が洋画で何が日本画なのか分からなくなります。
フェノロサは日本画と洋画の区別を下記のように示しました(出典:Wikipedia フェノロサ 美術真説 1882年)。日本画は、
1、写真のような写実を追わない。
2、陰影が無い。
3、鉤勒(こうろく、輪郭線)がある。
4、色調が濃厚でない。
5、表現が簡潔である。
写実的な形で絵を描くと、そこに影を入れなければバランスが悪くて不安定な絵になります。
写実でなく 様式化されたような絵を線だけで描くと、囲まれた中の面を塗りつぶすだけで出来上がった感じがします。
これらの現象はとても不思議ですが、実際に描いて飾ってみると明白に理解できます。
「油絵具だから洋画で、膠絵具だから日本画だ」という分け方よりも、その絵が写実的な形体を採用していて、陰影の肉付けがされているかいないかで区別する方が分かりやすいと思います。
※私が描いている左のマンガなどは、上記の1~5すべてに該当する純然たる日本画となってしまいます(笑)。
現代のマンガやアニメも日本画の流れを汲むものと考えられます。