肩書 名声

私はクラシック音楽が好きで、もう40年以上音楽ファンをしています。

肩書きはあてになりません。

肩書きがあてにならないことを説明するのに、音楽の分野で考えてみます。

たとえばどこどこ音楽コンクールで受賞した【新曲】を聴いてみてもぜんぜん良いと思いません。

私はキリスト教ではありませんが賛美歌や聖歌が好きです。ところが新作の賛美歌や聖歌を聴いても全く良いと思いません。音楽の世界では相当な名声を博した先生の作品でも、私は「無に等しい」と感じてしまいます。

 

バッハやモーツアルトやベートーベンや、あるいはゴッホやセザンヌのような天才は、そうめったに現れるものではありません。

それにもかかわらず、音楽コンクールや絵の展覧会がいっぱいあって、賞がたくさんあるということを、どう考えれば良いのでしょうか。

 

展覧会は団体ですから、発展成長を目指します。

出品作家の志気を上げるために授賞は効果的です。

外部から見た展覧会が活気に満ちていて成長発展しているように見えることが大切です。

そのために「燃える人」が必要となります。「燃える人」は天才でなくてもかまいません。人材のバリエーションの幅があるのが望ましいのです。

 

展覧会で受賞するということは、独創的で個性的なのではなくて、奇妙で異常だからかもしれません。

美術展会場で目立った絵ということは、人間にたとえると、大声で叫ぶような人(絵)だったのかもしれません。

ためしにその人の個展に行ってみると、うるさい絵ばかりが並んでいて、視覚的難聴になってしまうかもしれません。

どこでも大声の人は目立つものです。やる気があるように見えるものです。 

目立つ人を”才能あり”と錯覚してしまいます。(”目立つ”という才能ですが・・笑)。

 

コンクールや展覧会で何度も受賞を重ねて行くうちに、やがて有名になります。

「私はどこどこ美術協会会員です」と言うだけで尊敬の目で見られます。「何々ビエンナーレに入賞しました」も同様です。これはいわば資格のようなものです。絵の分からない人に作家の価値を知らしめる端的で有効な方法です。一度名声が出てしまえば、そこから様々な利益が生み出されます。

肩書きがあれば、少なくともシロウトの人は信用します。

私のように絵画教室もスムーズに運営できます。

 

これは主にアマチュアサイドに多く見られますが、肩書や経歴をカネで買う人もいます。海外には「展覧会屋」というのが居て、高額な出品料と引き換えに 「(カタカナ)国際美術展受賞」のような経歴を与える業者も居ます。

あるいはその世界を泳ぐのが上手で、その政治力と経済力だけで紺綬褒章まで授与された人も居ます。 

 

私はいわゆる美術展の「受賞」に疑いを持っています。

ほんとうにこれは世界中の人に末永く愛されるような絵だろうか、と。

 私が若い頃に活躍していた画家たちのほとんどは、今では消えて居なくなっています。

今彼らの作品を思い起こすと、(古いなぁ)と感じてしまいます。

 名声や肩書の良いところは、制作する画家をやる気にさせ、画家の生活を安定させ、周囲からの批判を和らげることでしょう。

しかし反面、名声という「おだて」に乗って進歩が止まってしまうこともあります。おだてられていつも同じ絵ばかり描き続けてしまいます。

作品と名声の双方を両立させることはほとんど不可能でしょう。どちらかを優先させるしかありません。

 

良い絵を見分けるにはどうすればよいでしょうか?

私は絵と人間は同じだと考えています。

「その絵は、聞かれた時にだけ返事をしてくれますか?、やかましくないですか?、その絵を生涯の友として傍らに置きますか?、その絵に語りかけ、慰められ、行く道を示し、その絵から無限の教訓を得、あなたを高みに引き上げてくれますか?」

これらに応えられる作品が良い絵です。

 

 

※以上はファインアート(純粋芸術)の論評です。イラストレーションの分野は除外して書きました。