アトリエについて
絵画教室の皆さんが口をそろえて言われることは「家で絵を描きたいけど、家ではなかなかやる気になりません」。
家ではどうして描く気分になれないのか、考えてみました。
絵画教室や学校と家ではどこが違うのか。
考えられるのは”環境”。
絵画教室や学校は、まわりが教材や、行動している人ばかりなので、自分も自然とやる気になります。
絵以外に、たとえば学校とか、競技場とか、音楽会とか、展覧会場とか、結婚式とか、お寺とか、教会とか、裁判所とか、国会みたいな所は、そこへ入ると身が引き締まって気分が変わります。やる気になります。
その理由を考えると、そこには共通した要素があります。
すなわち、生活感が無いこと。
生活感が無い上に、そこに入る人は正装したりおしゃれをしたりします。
裁判所に洗濯物が干してあったら、判決の重みがなくなります。
首脳会談している周りで子供達が遊んでいたら、国家の重要事項など決定できる筈がありません。
クラシックの音楽会でお茶漬けを食べる人などいません。
お寺の経文が訳が分からないのには理由があります。普段使ってる口語体ではいけないのです。
これらの改まった場所で行われるのは”儀式”です。
儀式の行われる場所こそ、日常生活と切り離された場所なのです。
この場所のことを”聖地”と呼びます。
聖地とはエルサレムのことだけではありません。
日常と切り離された場所で 思いを巡らし 感性を磨き、目に見えぬ聖なるものと対峙する場所こそが聖地です。
日本には昔から仏間というのがありました。
仏間は聖地でした。
聖地だから正装します。劇場や映画館や音楽会が切符を売ってお金を稼いでいても、その空間は聖地です。
学校の教室やアトリエも聖地です(汚れるから正装ではありませんが。しかし普段着でもありません)。競技場も同じです。
今でも院展会館に行くと、畳の部屋を綺麗に掃除し、正座して神棚を拝んでいます。神棚には横山大観や岡倉天心などの功労者が奉ってあります。正座して身を清めて儀式を行うように制作しています。わずかなゴミが部屋に落ちていたら、すぐに清掃します。
ニコライ堂のような東方教会のイコン作家(修道士)は、制作する前に祈り、身を清めて、絵の具を聖別し、自然光の基でイコンを描きます。
家で絵を制作することの難しさがお分かりでしょう。
いつか経済的に余裕ができたら、たとえ一畳程度でも良いですから、家の中に聖地を作って下さい。
加えて聖地とは空間だけではありません。時間的聖地もあります。
一日のわずかな時間だけでも、世俗を忘れて思いを巡らす時間が取れたら素晴らしいことです。
私は、絵画教室のアルス美術会を作る時に聖地を意識しました。
なるべく生活感を無くすように。絵画に関わる備品だけで部屋が構成されるように。
町の小さな絵画教室ではありますが、ここにささやかな聖地が出来ました。