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| 肩書 名声 |
公募美術展では展覧会場で陳列されている部屋が一部屋違っただけで画家の評価(価格)が変わります。第一室の初めのあた
りが「最高!」で、真ん中が「実力者」のスペースです。昔ある美術展で、陳列部屋をめぐって殴り合いのケンカがあったと聞きます。それぐらい「部屋」は画
家にとって重要なものでした。 コンクールや展覧会で何度も受賞を重ねて行くうちに、やがて有名になります。「私はどこどこ美術協会会員です」と言うだけで尊敬の目で見られます。「何々ビエンナーレに入賞しました」も同様です。これはいわば資格のようなものです。絵の分からない人に作家の価値を知らしめる端的で有効な方法です。一度名声が出てしまえば、そこから様々な利益が生み出されます。 |
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前述したことを逆から考えてみましょう。展覧会で受賞するということは、独創的で個性的なのではなくて、奇妙で異常だっ
たからかもしれません。その証拠にその後絵が売れません。公募美術展会場で目立ったということは、大声で叫ぶような絵だったのかもしれません。ですからそ
の人の個展に行くと難聴になりそうです。肩書や経歴が欲しくてカネで買う人もいます。海外には「展覧会屋」というのが居て、高額な出品料と引き換えに
「(カタカナ)国際美術展受賞」のような経歴を与える業者も居ます。
何故こんなヘソ曲がりなことを言うかといいますと、私はいわゆる美術展の「受賞」に疑いを持っているからです。ほんとうにこれは世界中の人に末永く愛さ
れるような絵だろうか、と。私が若い頃に活躍していた画家たちのほとんどが今では消えてなくなっています。今彼らの作品を見ると、「古い」と感じてしまい
ます。芸能界にたとえれば、一時有名になっても、やがてほとんど忘れられてしまったような人のようなものです。 私はクラシック音楽が好きで、もう40年以上音楽ファンをしています。 たとえばどこどこ音楽コンクールで受賞した【曲】を聴いてみてもぜんぜん良くありません。私はキリスト教ではありませんが賛美歌や聖歌が好きです。ところが新作の賛美歌や聖歌を聴いても全く良くありません。音楽の世界では相当な名声を博した先生の作曲作品でも、私は「無に等しい」と感じてしまいます。
名声や肩書の良いところは、画家をやる気にさせ、画家の生活を安定させ、周囲からの批判を和らげることでしょう。 しかし反面、名声という「おだて」に乗って進歩が止まってしまうこともあります。おだてられていつも同じ絵ばかり描き続けてしまいます。静かで平穏な日
々を確保できなくなるかもしれません。作品と名声の双方を両立させることはほとんど不可能でしょう。どちらかを優先させるしかありません。 |
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