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| 抽象画はわからない? |
自分に直接関係のない集会に参加した時には、その集会が訴えている内容よりも、集会の歓声の盛り上がりや雰囲気の方が印象に残ることがあります。
言葉だけの棒読みの集会でしたら、意思が伝わっても共感することが出来ません。音や歓声やムードだけの集会では、何が伝えたいのか分かりません。
たとえていえば、”具象”とはその集会が訴えている言葉であり、”抽象”とはその集会の音や歓声の盛り上がりや雰囲気であると言えます。
抽象画は「わけが分からない」と見られることが多いと思います。
すべてがそうではありませんが、現代のわけの分からない絵は「知的装飾」の可能性があります。
たとえばテレビ番組で、コメンテーターが話している時に、後ろに居る美人たち(壁の花)のようです。
壁の花は、”生涯の友”や”連れ合い”や”恋人”にはなれません。ただ美しいというだけです。
こういう抽象画を言葉にたとえると「世界人類が平和でありますように」とか「命の大切さ」とか「善処します」とか「神の愛」のようなものではないかと考えます。具体的でないので、どのようにでも解釈できます。ですから美しくて害も少ないのだと思います。
反面抽象的なので、何も主張していないとも考えられます。したがって無害だけど無益でもあります。
ちなみに極端な具象画(写真のような)も同様だと考えられます。描いてあることが沢山ありすぎて、何が言いたいのかわからない。
多弁も舌足らずも両極端は表現力の不足に至ります。
抽象画で出来る表現には限界があります。たとえば月球儀や火星儀というものがありますが、これらを購入して当初は珍しさで見つめるでしょうが、やがて飽
きてしまいます。模様の美しい「木星儀」を作ってみても同じです。地球儀のほうが面白いと感じます。地球儀の方がおもしろいと感じるのは、そこに「意味」
があるからです。地球儀も木星儀も造形的に見れば単なる「色と形」ですが、私たちはその意味を知っています。意味のはっきりしない、あるいは理解困難な抽象画は、月球儀や火星儀や木星儀のようなものです。
絵から意味やメッセージを感じられなければ興味は長続きしません。 |
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図は左から、アングル「トルコ風呂」、モネ「ロンドン・霧の国会議事堂」、マレーヴィッチ「シュプレマティズム」、インド・カシミール地方の肩掛。
歴史を大まかに見ると、物質文明が活発な時期(古代、近代〜現代)や地域(中進国、先進国)の美術には具象的で写実的な表現が多用され、精神的な文化が活発な時期(中世、現代〜未来))や地域(未開発国、超先進国)の美術には抽象的な表現が多用される傾向があります。
大ざっぱに抽象-精神、具象-物質のように分けてしまいましたが、現実には両方の要素が含まれることが多いと思います。
抽象画を主に描いてきた画家が具象画家に転向すると”ヘタ”になってしまいます。まわりから「あの先生がこんなにヘタだとは思わなかった」と言われて、描いた本人がレベルダウンにショックを受けます。
しかし逆に具象画を描いてきた画家が抽象画に転向すると、意外にレベルの高い抽象画を描くことが出来ます。
ですから、具象画の方が抽象画よりも表現技術を要すると考えられます。
この現象は具象画自体にも言えます。
風景画専門の画家が人物画を描くと”ヘタな画家”になってしまいます。逆に人物画を描いている画家が風景を描いてもヘタにはなりません。
絵の表現技術にはランク付けが存在します。
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